司牡丹(高知の日本酒)をやりながら、なぜこの酒を呑むのか?とふと考えてみた。
おそらく、それは旨いということと、青梅時代知人の家具職人の研さんの友人、岳さんが蔵人をやっていて、高知に来る前に話しだけ聞いてたが実際に繋がり、オレが呑んでいるこの酒も彼の手が掛かっているという安心からというか顔が見えるからなのだが、ブランドイメージは決して名人や職人という属人的なものに起因するからではないような気がする。

ブランドの持つイメージと果たすべき約束を全てのパーソネルがアノニマスとなり守り上げているからなのだろう。
精神性まで鍛え上げたコミットメントこそがブランドなのだ。

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