居を動かすということ。
知らず知らず仙川から流され青梅成木経由で南国土佐まで辿りついたが、これも偶然ではない。みわの両親の郷が土佐だった地縁もある。ではこれから目指す彼の地はどんな縁があるというのだろうか?それはまだ考えも及ばない。ただ前に進むだけなのだ。
そして、確かに人間が生活するのに快適/不快の根源的な条件があるのだということが今の栗原の家に出会ってつくづく思うのである。それは水があって日当たりの良い東南の地かどうか。それだけで生活の質はかなり向上されるのだ。

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